ゆうさん
ラピュタの夢
ラピュタについてですが、最後のシーンでドーラ一味がラピュタのお宝への固執を叫びながら、結局それを追わないシーンがありますね。
宝を追わないということによって「宝を追い続ける」という生き方を選択していること、そしてその姿勢が一味の生き甲斐となって愉快な生活の土台となっていることが印象的です。
その点から言うと、夢として割り切れない大人(ムスカら)は罰を受け、夢として割り切った大人(シータとパズー)は罰を受けないけれど、夢として割り切ることで夢に生きる子供大人(ドーラら)も一つのロマンの形として提示されているのかなと記事を拝見していて感じました。
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